君がいた




――深司、俺ぜったいに戻ってくる。お前のココへ――


ずっと一緒にいた人。
友人と呼べた人。
仲間ともいえた人。
そして…大切な、大切な人…だった。



「アキラ、今どこにいるの?」

伊武は携帯から聞こえる懐かしい声に耳を傾けていた。

『すぐ近くにいるよ、ちょっと待って。手をふるよ』

駅前の噴水をはさんだ向こう側で手を振っている人がいた。

以前と変わらない髪形。遠くからでもその人とわかる。

「今、向かうよ」

伊武はプッと電話を切ると、神尾の方へと歩き出した。





中二の終わり。

突然に神尾が親の都合で引っ越さなければならなくなった。

地図の上では近いと思う場所。それでも距離にすれば遠い場所。

橘は泣かなかったが神尾にエールを送った。

他のみんなもがんばれよ。と言葉をそえた。

でも、伊武だけは何もいわなかった。


放課後。

最後の部活を終えた神尾は部室で伊武と一緒になった。

「なぁ、深司。何でなにもいってくれないんだよ」

伊武は制服に着替えているが、神尾の方にさえ顔を見ようとしない。

完全に無視しているようだった。

「深司っ!」

何もいわない伊武に神尾は怒鳴った。

本当は誰よりも一番に言葉をかけて欲しかったのに。

「何?アキラ、【さよなら】とかいって欲しいの?」

バシッ

伊武の頬が赤く染まる。神尾の平手が炸裂した。

「…俺、そんなこと言って欲しくない。深司に【さよなら】なんていって欲しくないっ!」

神尾の両目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。

「俺…深司と離れたくないのに…なんでそんなこというんだよ」

神尾はその場から逃げるように床をけった。

それを伊武が腕をつかんで捕まえた。

「俺だって、アキラと離れたくない。でも、俺がそんなこといってもアキラは引っ越すんだろう――」

伊武は神尾を引き寄せると、包み込むように抱きしめた。

「アキラ、俺わすれないよ。絶対に俺の元へ戻ってくるって信じてるから…」

「うん、俺も深司のココへ戻ってくる…」

二人は互いの温もりを忘れないように抱きしめあっていた。


それから、数年の歳月が流れた。

伊武は高校生になったが、テニスは続けていた。

神尾とはたまに連絡をとりあっていたが、会えない毎日だった。

高校生になり、それまでの部の仲間とは離れてしまったが、

大会や外で会う機会が多くて週何日かでテニスをしていた。

みんな元気そうで安心した。でもその中に大切な人がいない。

寂しさを胸に残し、伊武は一日を過ごしていた。

あの日の約束を抱いて。




それから何日かたった日。

突然に神尾から連絡があった。

久しぶりに、この伊武のいる町へ戻ってきたという。

伊武は高鳴る鼓動を抑えて、家を飛び出した。

「深司、久しぶり。元気そうじゃん」

少し硬い表情の神尾に伊武は気になったが、会えたことのほうが今は大きかった。

「どうする、みんなも呼ぶ?」

「…ん、みんなには会いたいけど、今日は深司と一緒にいたいんだ…」

神尾は元気がなかった。

「俺の家くる?今日は誰もいないから、大丈夫だよ」

伊武は精一杯の笑みを浮かべて、神尾に向けた。

神尾はその変わらない笑みに心が癒されていった。

「どう、変わらないでしょう。この部屋」

伊武は適当に飲み物やお菓子をじゅうたんの上に置いた。

久しぶりにきたこの部屋は以前と何もかわっていなかった。

その変わらないことに神尾は胸の奥が痛くなった。

そう思うと、自然に涙がこぼれてきた。

「アキラ?」

その神尾の光景に伊武は驚いた。

「ごめん、深司。俺…本当にごめん…」

とめどなくあふれる涙を神尾は止められずにただ、ひたすらに謝るばかりだった。

「アキラ、俺は平気だから…」

伊武はやさしく神尾を抱きしめた。


――平気だから、泣かないで――


「し…しんじ…」

神尾が落ち着きを取り戻すまで、伊武は何もいわず見守っていた。

神尾はジュースを一口飲むと、伊武の方に向き直った。

「深司、俺…」

「…テニス、やめちゃったんでしょ。」

神尾の言葉をさえぎるように伊武はいった。

その言葉に神尾はショックだった。

「知ってたよ。電話したときとか、テニスの話をしなくなったから。

あんなにテニスが好きだったのに急に話さなくなったら誰だって気づくよ」

「そっか、気づいてたんだ」

神尾はそこまでいうと、ボソッと話はじめた。

テニスをやめたのは高校のテニス部で怪我をしたから。

テニス部での神尾は浮いた存在で、

先輩たちとの折り合いもよくなかったのも原因のひとつだった。

不動峰の時はみんなが支えあってきたから、

乗り越えられた困難も一人になって初めて、自分が弱い存在だと気づいた。


戻りたいと。

もう、あの頃には戻れないとわかっていても、戻りたい。

あの楽しかった日々に。

今の場所には自分の居場所はないのだ。

「深司…俺、テニスやめたくない…またみんなと一緒に打ちたい…」

再び、神尾の目から涙があふれた。

「つづければいいじゃん、俺も橘さんもアキラと打つの楽しみにしてるし。」


――戻っておいで、アキラ。俺のココへ――


伊武はそっと、神尾のまぶたにキスをした。

「いいの、戻ってきても…」

「もちろんだよ、俺たち恋人だろ」

神尾はその言葉で、フッと気持ちが軽くなった気がした。

「…そうだな、俺…深司がいたから、ココまでこれたんだ…」

神尾と伊武はしばらく、離れていた温もりを確かめながら、抱きしめあった。



「もう、大丈夫なの」

駅前で伊武は目の前の恋人にそうたずねた。

「ありがとう、俺、もう少し考えてみる。テニスもやり直すよ」

その顔には神尾らしい笑みがこぼれていた。

「そう。」

伊武はそうつぶやくと、アキラ。と名をよんだ。

「俺、アキラが戻ってくるのを待ってるから」

神尾はうなずくと、伊武に手をふって、駅の中へと消えていった。

伊武はずっと見送っていた。


…ありがとう、深司。俺、お前と出会えて――好きになってよかった…


神尾は振り向くこともなく、大切な人と別れた。


――深司、俺ぜったいに戻ってくる。お前のココへ――





おわり